2012年4月15日日曜日

神保町の匠 - 006風巻毅アーカイブ


 3月11日の金曜日の午後、突然地面が揺れた。大したことない、と思った。だが、その後惨状を知る。親戚25人はすべて宮城県在住(仙台市、名取市、多賀城市、気仙沼市)。血の気がすうっと引いた。
 連絡が取れたのは4日後、15日の火曜日である。名取市の叔父からの電話で「電気が通った」という。
 この叔父は浮き沈みの多い人であった。高校中退後はじめた事業で失敗し、取引先の社長にお抱え運転手として拾われた。車内電話の盗み聞きから株に手を出し、大儲けした挙げ句に自己破産、一時は生活保護も受けていた。

 だが本書『生活保護は最低生活をどう構想したか』を手に取ったのは、震災以前のことである。低所得層の収入水準が低下、いまや15%以上が貧困層(ワーキングプア)に属する(年間所得1人世帯127万円以下、4人世帯254万円以下)。なんと生活保護を受けるほうが収入が増えるという(各種加算を含んだ最大値の生活保護支給額1人世帯164万円、4人世帯360万円)。これはひょっとして、生活保護受給者の所得が多すぎるのではないか。ここは徹底的に、社会政策としての「歴史」から勉強してみようと思� ��たのだ。


どのようにハリー·ポッターは死んでない

 まず知ったのは、生活保護基準額である「最低生活費」は21世紀に入ってから、けっして増えていないということ。著者が作成したpp.54-55の表がじつにわかりやすい。増えるどころか、逆に2度も減らされている(2003年と2004年)。また、加算(特別介護料、障害者加算、妊婦加算等)を含まない基準額では、生活保護の支給額が貧困基準を上回るなどということはない。1986年以降の標準世帯と設定される3人家族(33歳夫、29歳妻、4歳子)の場合、年間支給額は195万円となる。3人世帯の貧困層ラインの224万円よりも30万円以上、低いのである。

 じつはわたしの読書の目的は、序論部で達成されてしまった。全体の概略は冒頭に説明ずみなので 、以降に驚くような展開はない。博論めいた淡々とした記述がつづくが(あとがきで知ったが、本書は実際に博論に加筆したものであった)、ときとしてドキッとする個人的感想が挟み込まれる。気を抜くわけにはいかない。


ウィル·フェレルビデオ真珠家主

 問題にされるのは(タイトル通りだが)「最低生活」とは何か、ということである。1946年の旧生活保護法の制定直後は全面的に栄養学に依拠していた。とにかく食えればいいだろう、ということである。
社会保障費の半ば以上が生活保護に割かれていたが、最低レベルの生活しか可能ではない金額。ただし、そこで対象としたのはすべての在住者であった。在日朝鮮人も保護の対象だったのである。国内に住む日本国籍を持つ者のみを対象とする国籍条項が加わったのは1950年の改訂のこと。ちなみに家族の標準モデルは1961年4月1日まで5人世帯であった(1961年から85年まで4人世帯)。

 栄養ベースの「エンゲル方式」を表面上放棄したのは高度成長期の1965年のことである。かわって導入されたのが「格差縮小方式」であった。このときから20年のあいだ、生活扶助基準額は飛躍的に伸びた。だが別に保護基準が適正となったわけでなく、単に景気が良かったからに過ぎない。じつは現在、26年前(1985年)のそれから月額770円しか� �えていないのである。なぜ増えないか。単純に景気が悪くなったからである。ときとしてバブル期以降の財政上の厳しさから景気動向を読む「水準均衡方式」に移行したからと説明されるが、著者は「格差縮小」だろうが『水準均衡』だろうが大差ないと喝破する。それどころか、根本的には敗戦時の惨状を弥縫した旧生活保護法とも、大差ないのだと。


ジェームズ·ボンドにmを果たしている人

 じつは生活保護という制度自体、この四半世紀以上保護基準が据え置かれ、さしたる見直しもなく、ほぼ放置されたままなのであった。したがって本書の結論は「最低生活」の議論自体が棚上げにされている、ということになる。

 こうして生活保護の「歴史」を振り返って思うのは「いったん現行の生活保護を忘れて(…)最低限度の生活のありかたを検討すること」(301頁)の必要性である。目下は大阪府を中心とした不正受給者の問題(資格がないのに嘘をついて受給する等)に目くらましにされているが、彼らは国から金を奪う犯罪者であり、明確に刑法の詐欺罪の領域となる。つまり、それは別個の問題。現状、まさに制度自体を再考す� ��時期に来ているのだ。

 現在、支給者の大半を占める高齢者単身世帯(年間所得75万円から97万円)、高齢者夫婦世帯(年間所得113万円から144万円)、母子世帯(仮に子ども二人とすると、民主党が復活させた母子加算があっても年間所得213万円)は、誰が見ても生きて行く上でギリギリの額である。


 その金額の低さもさることながら、糾弾されるべきはむしろ貧困層の捕捉率(支給を受けている割合)の低さなのである。そう、ワーキングプアの多くは、実際には「稼働能力を活用していても収入が最低生活費を下回る」生活保護の開始要件を満たしているのだ。だがその捕捉率は日本では20%に満たない。単純に比較はできないが、イギリスでは87%、ドイツは85から90%の捕捉率である。つまり日本国で、生活保護はセーフティネットとして明らかに機能していないのである。

 たとえばアメリカに生活保護は存在しないが、ワーキングプアのための保護費給付(TANF)と貧困家庭へのフードスタンプの交付があり、最低限の食生活の維持が図られている。フランスでは一昨年、収入額� ��応じて段階的な保障が受けられる積極的連帯所得制度(RSA)が発足した。上記と位相は異なるが、不正受給を厭う中国では最低生活保障制度の申請者と受給者の個人情報が公開されている。
 日本も再構築の段階に来ていると思う。未曾有の大災害があった、いまこそ。

 電話での叔父の声音は嬉々としていた。「さあ、これで一からやり直しだ」。70歳を越えた年齢、資産皆無の彼を中心に「やり直す」のは無理かと思う。だが、この老人が津波から逆説的に何らかの希望を与えられたのは、確かなようであった。



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